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東京高等裁判所 昭和35年(う)2360号 判決 1961年7月18日

主文

原判決を破棄する。

被告人等をそれぞれ禁錮六月に処する。被告人等に対しては本裁判確定の日からそれぞれ二年間右各刑の執行を猶予する。原審及び当審の訴訟費用≪省略≫

理由

本件控訴の趣意は、被告人矢崎安重及び同安達盛の弁護人柴田武、同花岡隆治、同斎藤兼也、同中村哲也、同田宮甫及び同向山義人が連名で差し出した控訴趣意書並びに被告人成田美智由の弁護人飛鳥田喜一、同飛鳥田一雄、同池谷利雄及び同平井光一が連名で差し出した控訴趣意書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して当裁判所は次のように判断をする。

弁護人柴田武、同花岡隆治、同斎藤兼也同中村哲也、同田宮甫及び向山義人連名の論旨第一点の一について。

原判決がかかげている関係証拠によれば、京浜鶴見駅に設置されていた通過列車制御装置の起動スイツチを入れておけば、上り列車が一六〇号信号機の地点を踏むと同時に、同駅のホームに設置されていた標示板が点灯すると共に同所に設置されていたブザーが鳴り出すばかりでなく、これと並行して鶴見市場第四踏切番舎に設置されていた列車接近灯が自動的に点灯すると共に同番舎に設置されていたブザーが鳴り出し、これによつて同番舎の踏切警手に、京浜鶴見駅を無停車で通過する上り列車が接近して来ていることを知らせ、もつて右踏切警手をして右踏切に設置されていた踏切遮断機を降下させる仕組になつていたものであるが、被告人矢崎は、京浜鶴見駅長戸田幸太郎の命により、同駅の駅務係として出、改札及び精算の事務に従事すると共に同駅に設置されていた前記通過列車制御装置の起動スイツチを取扱う業務にも従事しており、且つ昭和三〇年一一月頃、右通過列車制御装置の使用が開始されるに当つては、前記戸田駅長から右装置の機能について説明をうけ、生麦駅から上り通過列車の電話連絡を受けたときは直ちに右装置の起動スイツチを入れるよう指示を受けていた事実を認めることができ(このことは、被告人矢崎の同僚で、本件当時同被告人と同様の業務に従事していた鈴木義夫が原審第八回公判期日の公判廷で証言しているところによつて明らかなように、同人は、被告人矢崎が、京浜鶴見駅のホームの乗客に対して、上り通過列車が通過する旨の場内放送をしているのを聞いて本件通過列車が接近して来ていることを知つたが、同駅に設置されていた列車接近灯を見ると、列車が一六〇号信号機の地点を踏むと同時に自動的に点灯することになつていた第二灯が点灯しており、従つて、列車はすでに一六〇号信号機の地点を踏んでしまつているのに、同駅に設置されていた通過列車制御装置の起動スイツチが未だ入れられていないことを知つたが、右通過列車制御装置が、鶴見市場第四踏切番舎と連絡していることを知つていたので、危険防止のため、急いで通過列車制御装置の起動スイツチを入れた事実だけからみても、十分に推認できる。)、被告人矢崎には、原判示のように、鶴見市場第四踏切番舎の踏切警手に対し、京浜鶴見駅を無停車で通過する列車の接近を知らせる装置である、同駅に設置されていた通過列車制御装置を取り扱うべき業務があり、又右通過列車制御装置を取り扱うに当つては、生麦駅から通過列車の電話連絡を受けたときは直ちに右通過列車制御装置の起動スイツチを入れることによつて、右番舎に設置されていた列車接近灯が点灯すると同時に同番舎に設置されていたブザーが鳴り出すようにし、これによつて右番舎の踏切警手に通過列車の接近を知らせ、もつて右踏切警手をして右踏切に設置されていた踏切遮断機を、時機を失しないように降下せしめて踏切事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたことが明らかであり、なお右業務上の注意義務を怠れば、右踏切警手が右踏切遮断機を降下する時機を失することになり、そのため右踏切において不測の事故を起すかも知れないことは当然予見しうるところであるから、原判決が、被告人に対して原判示のような業務上の注意義務がある旨を認定した事実認定はまことに相当であつて、記録及び証拠物を精査し、且つ当審の事実取調の結果を検討しても、原判決の右事実認定には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の疑はなく、又論理の法則や経験則に違背した違法があるとも考えられず、なお証拠の取捨判断は原審裁判所の自由裁量に委ねられているので、これを非難することも当らないから論旨の理由はすべて理由がない。

同第一点の二について。

本件当時生麦駅に信号係として勤務していた川瀬広一の原審第七回公判期日の公判廷における証言によると、同人が京浜鶴見駅に本件通過列車の電話連絡をし終つた時は、右通過列車が花月園前駅に入ろうとする頃であつたものと認められるところ(このことは、川瀬は、本件通過列車が進行して来たことを、同列車の先頭が生麦駅のホームに入つて来た時に知つて京浜鶴見駅に電話で連絡したものであるが、原判決が引用している関係証拠を総合すると、右電話連絡には二〇秒ないし二五秒位の時間しか掛つていないものと認められるところ、昭和三三年一月二四日付の原審裁判所の検証調書によつて明らかなように、時速約六四キロメートルの速力で走行すると、生麦駅から、花月園前駅より更に約四三メートル京浜鶴見駅寄りに近寄つた個所にある一六〇号信号機の地点までを走行するのに約四六秒を要することによつても十分に首肯することができる。)、一六〇号信号機の地点は、前記のように、花月園前駅より更に約四三メートル京浜鶴見駅寄りに近寄つた個所にあるのであるから、被告人矢崎が生麦駅から本件通過列車の電話連絡を受けたときに、直ちに京浜鶴見駅に設置されていた通過列車制御装置の起動スイツチを入れておけば、当然右通過列車が一六〇号信号機の地点を踏むと同時に、自動的に、鶴見市場第四踏切番舎に設置されていた列車接近灯が点灯すると共に右番舎に設置されていたブザーが鳴り出し、これによつて右番舎の踏切警手に対して、京浜鶴見駅を無停車で通過する列車が接近して来ていることを知らせ、右踏切警手をして時機を失しないように踏切遮断機を降下せしめ、もつて踏切における事故を未然に防止しえた筈であつたと認められるから、原判決が、被告人矢崎が生麦駅から通過列車の電話連絡を受けたとき、直ちに右通過列車制御装置の起動スイツチを入れておけば、右番舎に設置されていた列車接近灯が点灯すると同時に右番舎に設置されていたブザーが鳴り出し、これによつて右番舎の踏切警手に対して京浜鶴見駅を無停車で通過する列車が接近して来ていることを知らせることができた旨を認定した事実認定はまことに相当であつて、記録及び証拠物を精査し、且つ当審の事実取調の結果を検討しても、原判決の事実認定には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の疑はなく、又論理の法則や経験則に違背した違法があるとも考えられず、なお証拠の取捨判断は原審裁判所の自由裁量に委ねられているので、これを非難することも当らないから、論旨はすべて理由がない。

同第二点について。

被告人矢崎は、柴田弁護人外五名連名の論旨第一点の一において説明したように、京浜鶴見駅の駅務係として出、改札及び精算の事務に従事すると共に同駅に設置されていた通過列車制御装置の起動スイツチを取り扱う業務にも従事していたものであるが、右通過列車制御装置は、その起動スイツチを入れておけば、上り列車が一六〇号信号機の地点を踏むと同時に、鶴見市場第四踏切番舎に設置されていた列車接近灯が点灯すると共に同番舎に設置されていたブザーが鳴り出し、これによつて同番舎の踏切警手に、京浜鶴見駅を無停車で通過する列車が接近して来ていることを知らせ、もつて右踏切警手をして右踏切に設置されていた踏切遮断機を降下させる仕組になつていたものであるから、右業務に従事していた被告人矢崎としては、生麦駅から通過列車の電話連絡を受けたときは特に、ホームの乗客に対する場内放送をする前に、通過列車制御装置の起動スイツチを入れるように指示がなかつたとしても、おそくとも右通過列車が一六〇号信号機の地点を踏む前、すなわち京浜鶴見駅に設置されていた列車接近灯の第二灯が点灯する前に、右通過列車制御装置の起動スイツチを入れ、これによつて、右番舎に設置されていた列車接近灯が点灯すると同時に、同番舎に設置されていたブザーが鳴り出すようにし、もつて右踏切警手に京浜鶴見駅を無停車で通過する列車が接近して来ていることを知らせるべき業務上の注意義務があつたものというべきところ、被告人矢崎は、京浜鶴見駅の駅務係鈴木義夫が、前記のように、被告人矢崎が、同駅のホームの乗客に対して、通過列車が通過する旨の場内放送をしているのを聞いて本件通過列車が接近して来ていることを知つたが、同駅に設置されていた列車接近灯を見ると、列車が一六〇号信号機の地点を踏むと同時に自動的に点灯することになつていた第二灯が点灯しており、従つて列車はすでに一六〇号信号機の地点を踏んでしまつているのに、右通過列車制御装置の起動スイツチが未だ入れられていなかつたことに気付いて急いで右起動スイツチを入れるまで、右起動スイツチを入れないまま放置し、漫然同駅のホームの乗客に対する前記のような場内放送のみをしていたことはまさに矢崎に課せられた前記業務上の注意義務の懈怠というべきであるから、原判決が被告人矢崎を業務上過失致死、同傷害罪に問擬したことはまことに相当であつて、原判決には、刑法第二一一条の解釈を誤まつた達法はなく、又何人に対しても期待することができない行為を要求した違法もないから、論旨はすべて理由がない。

同第三点について。

鶴見市場第四踏切番舎の踏切警手は、同番舎に設置されていた列車接近灯が点灯すると同時に、同番舎に設置されていたブザーが鳴り出すことによつて、京浜鶴見駅を無停車で通過する上り列車が接近して来ていることを知りうる仕組になつていたことは、所論の指摘するとおりであり、又本件通過列車が一六〇号信号機の地点を踏んだ際には、右番舎に設置されていた列車接近灯が点灯しただけで、これと同時に右番舎に設置されていたブザーが鳴り出さなかつたことも亦所論の指摘するとおりであるが、生麦駅から京浜鶴見駅に対する通過列車の電話連絡又は京浜鶴見駅における通過列車制御装置の起動スイツチの操作がおくれることがありうるため、京浜鶴見駅を無停車で通過する上り列車であるにもかかわらず、鶴見市場第四踏切番舎に設置されていたブザーが、同番舎に設置されていた列車接近灯の点灯と同時に鳴り出さず、多少おくれて鳴り出すことがありうるのであるから、踏切警手たる者は、列車の接近を知らせる前記のブザーだけに頼ることなく、常に正確なダイヤの時刻を把握しており、前記の列車接近灯が点灯したならば、接近して来ている列車が京浜鶴見駅に停車する列車であるか或いは同駅を無停車で通過する列車であるかを早期に確認し、若し通過列車であるか又は通過列車の疑があるときは、敢えて前記のブザーが鳴り出すのを待つまでもなく、時機を失しないように踏切遮断機を降下すべき業務上の注意義務があるものというべく、原判決は、その措置が必らずしも適切ではないが被告人安達に対して叙上のような業務上の注意義務があることを認定したものと解すべきところ、被告人安達の検察官に対する昭和三一年二月三日付の供述調書によれば、本件当時のダイヤには、午後五時三九分の上り特急と午後五時四〇分の上り急行とがのせてあつたが、右各列車は昭和三〇年一一月以来運転中止になつていたので、その時刻頃に接近して来た上り列車は臨時のものであることが判り、従つて京浜鶴見駅を無停車で通過するかも知れない列車であることが判る筈だつたのにかかわらず、正常なダイヤの時刻を正確に把握していなかつたため、右各列車が同駅に停車するものと軽信していたため、踏切遮断機を降下する時期を失したことが明らかであるから、原判決がこの点に過失があつたと認定したことは、まことに相当であり、所論のように、鶴見市場第四踏切番舎に設置されていたブザーが、同番舎に設置されていた列車接近灯の点灯と同時に鳴り出さなかつた事実はもち論のこと、本件通過列車が運転日報に明記されておらず、その運行が予報されていなかつた事実及び本件は日曜日に起つた事件であるが、本件当時、日曜日には京浜鶴見駅を無停車で通過する休日特急は運行されておらず、又臨時廻送列車も殆んど運行されていなかつた事実があつたとしても、これをもつて直ちに、原判決が被告人安達に対して原判示のような過失があつたと認めたことが同被告人に対して不可能を強いているものとはいえないし、又踏切警手たる者は、原判決も認定しているように、踏切番舎に設置されていた、列車の接近を知らせるブザーが鳴り出したならば直ちに踏切遮断機を降下すべきであり、若しその際右踏切内に車馬或いは通行人が入つていたならばできるだけ踏切遮断機を降下すると共に、手笛を吹くとか、大声を発するとか、或いは手で指示するとかして、できるだけ早く踏切内に入つている車馬又は通行人を踏切外に出すと共に、これらの者が新たに踏切内に入つて来ないようにし、もつて踏切事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものと解すべきところ、被告人成田が運転していた本件乗合自動車が鶴見市場第四踏切に進入して来るのを阻止したならば本件事故は発生しなかつた筈であるのにかかわらず、被告人安達の検察官に対する昭和三一年一月二八日付の供述調書によれば、同被告人は、前記のブザーが鳴り出した際には、被告人成田が運転していた本件乗合自動車の直ぐ前を進行していた、北村稔の運転する矢向行乗合自動車が前記の踏切内に進入していたので、右乗合自動車が右踏切外に出てしまうのを待つて踏切遮断機を降下するつもりで、踏切遮断機を約一尺五寸降下しただけで、漫然右乗合自動車の動向にばかり注意しており、右乗合自動車に続いて被告人成田の運転する本件乗合自動車が右踏切内に進入して来るのを阻止すべき手段を全然とらなかつた過失があつたことが明らかであり、所論のように、鶴見市場第四踏切の踏切遮断機を降下するには七、八秒を要する事実、被告人成田の運転する乗合自動車が右踏切の前で一時停車をしないまま踏切に進入して来た事実及び本件通過列車を運転していた長瀬一が右踏切に設置されていたクロツスマークの確認を等閑に附していた事実があつたとしても、これをもつて直ちに、原判決が被告人安達に対して原判示のような過失があつたと認めたことが、同被告人に対して不可能を強いているものともいえず、結局原判決が被告人安達に対して認定した事実は、原判決がかかげている関係証拠によつて十分に認めることができ、記録及び証拠物を精査し、且つ当審の事実取調の結果を検討しても、原判決の右事実認定には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の疑はなく、又論理の法則や経験則に違背した違法があるとも考えられず、なお証拠の取捨判断は原審裁判所の自由裁量に委ねられているものであるからこれを非難することも当らず、従つて、原判決が被告人安達の本件所為を刑法第二一一条に問擬したことも亦相当であつて、法令の適用を誤つた違法もないから、論旨はすべて理由がない。

同第四点について。

記録を調査すると、原審裁判所が、戸田幸太郎の司法警察員に対する昭和三一年一月一二日付、同月一三日付及び同月一四日付の各供述調書、橋本辰雄の司法警察員に対する同月一三日付の供述調書、伊藤栄太郎の司法警察員に対する同日付及び同月九日付各供述調書、斎藤利雄の検察官に対する同月一八日付の供述調書、吉沢利朗の検察官に対する同日付の供述調書、千葉繁男の検察官に対する同日付の供述調書、小田実の検察官に対する同月一九日付の供述調書、新川鈴雄の検察官に対する同月一八日付の供述調書、金井一成の検察官に対する同日付の供述調書、宝理富雄の検察官に対する同月一九日付の供述調書、石渡英治の検察官に対する同月一八日付の供述調書、河津一郎の検察官に対する同日付の供述調書、岩田孝尚の検察官に対する同月一四日付の供述調書、長瀬一の司法警察員に対する同月九日付の供述調書、北村稔の司法警察員に対する同月八日付の供述調書、青木徹の司法警察員に対する同月九日付並びに検察官に対する同月一二日付及び同年二月二日付の各供述調書、湯田均の検察官に対する同年一月二三日付及び同月一七日付の各供述調書並びに鈴木義夫の検察官に対する同月九日付の供述調書を、当該供述者以外の者の原審公判期日における供述の証明力を減殺し、或いはこれらの者又は当該供述者の原審公判期日における供述の証明力を増強するための証拠として、刑事訴訟法第三二八条により証拠調をしていることは所論の指摘するとおりであるが同条は、公判準備又は公判期日における被告人、証人その他の者の供述の証明力を争うためには、その供述をした当該被告人、証人その他の者が作成した供述書又はそれらの者の供述調書だけに限らず、同法第三二一条ないし第三二四条の規定により証拠とすることができない書面又は供述をすべて無制限に証拠とすることができることを規定したものと解すべく(東京高等裁判所昭和二五年(う)第一七〇九号、昭和二六年七月二七日同裁判所第九刑事部判決、高等裁判所判例集第四巻第一三号第一、七一五頁以下参照。)又同法第三二八条にいう証明力を争うためとは、証明力を減殺するためばかりでなくこれを増強するためであつても妨げないものと解すべきであるから(東京高等裁判所昭和三一年(う)第三三号、同年四月四日同裁判所第一刑事部判決、高等裁判所判例集第九巻第三号第二四九頁以下参照。)原審裁判所が叙上の各供述調書を、刑事訴訟法第三二八条により、所論が指摘するような証拠調をした訴訟手続には何らの法令の違反はなく、なお記録を調査すると、原審裁判所が、伊藤栄太郎の司法警察員に対する昭和三一年一月九日付の供述調書を、同人の検察官に対する同月二八日付の供述調書の証明力を増強するための証拠として刑事訴訟法第三二八条により証拠調をしていることも亦所論の指摘するとおりであるところ、同条は「公判準備又は公判期日における、被告人、証人その他の者の供述の証明力を争うため」と規定しているが、同条はもともといわゆる伝聞法則の例外を規定したものであるから、必らずしも、その文言とおり公判準備又は公判期日における被告人、証人その他の者の供述の証明力を争う場合だけに限定する必要はなく、供述書又は供述調書の証明力を争う場合を含めてもさしつかえないものと解されるばかりでなく、仮に原審裁判所の右訴訟手続が、所論の指摘するように法令に違反するものであつたとしても、伊藤栄太郎の司法警察員に対する昭和三一年一月九日付の供述調書と同人の検察官に対する同月二八日付の供述調書とを対比してみても、前者によつて後者の証明力が特に増強されたとは認めがたく、且つ後者を除外しても、被告人安達に対する原判示事実は、原判決がかかげているその余の関係証拠によつて十分に認めることができ、結局原審裁判所が犯した右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかなものとは認められないから、論旨はすべて理由がない。

同第五点について。

原判決が証拠の標目にかかげている被告人安達の司法警察員に対する昭和三一年一月九日付の供述調書(枚数一七枚のもの)(同被告人についてのみ)並びに同被告人の検察官に対する同日付、同月二八日付及び同年二月三日付の各供述調書については、鶴見警察署刑事係長高橋周の原審第二一回公判期日の公判廷における証言並びに横浜地方検察庁検察官副検事小川兼夫及び同検察庁検察事務官裏仁の原審第二九回公判期日の公判廷における各証言によれば、右各調書の取調官が、被告人安達の取調を始めるに当つては、いずれも同被告人に対していわゆる供述拒否権があることを告げており、且つ右各調書を作成するに当つては同被告人に読み聞かせ、その記載が相違ないことを確かめた上、署名押印させたものと認めることができ、又前記高橋周の証言及び被告人安達に対する逮捕状によれば、同被告人の緊急逮捕は適法に行なわれたものと認めることができ、記録及び証拠物を精査し、且つ当審の事実取調の結果を検討しても、右各認定を左右するに足りる資料はなく、なお右各証言によれば、右各調書の取調官が被告人安達に対して所論のような無理な取調をしたものとは認められないばかりでなく、右各供述内容を検討し、これを記録に現われている他の証拠及び証拠物並びに当審の事実取調の結果と対比しても、右各供述が任意性を欠いているとは考えられず、右各取調の当時同被告人が相当昂奮しており、且つ警察当局が自責による自殺ということを相当心配していたという事実があつたとしても、これによつて直ちに右認定を左右すべきいわれはないものと考えられるから、論旨はすべて理由がない。

同第六点について。

被告人矢崎対にする起訴状記載の訴因には「通過列車制御装置のスイツチを入れることを失念し、……鈴木義夫において右スイツチ……を入れる迄之を放置せしめ……」となつているのに対して、原判決が同被告人に対して「直ちに起動スイツチを入れることをなさず、上り列車の進行位置を右通過列車制御装置の接近灯により確めることもなさず、漫然ホームに対する場内放送のみをなし、……鈴木義夫において……右スイツチを入れるまで右スイツチの操作をしないで放置し」たと認定し、又被告人安達に対する起訴状記載の訴因には常にダイヤの時刻をよく念頭に入れ、列車接近灯が点灯するやダイヤの時刻に照応して臨時列車なるや否やを確認し、臨時列車なる時は万一の場合を慮り、早期に遮断機を降下すべきは勿論手笛を吹鳴するとか、大声を発するとか或は手で制する等して北村稔の運転する自動車を通過せしめた後直ちに遮断機を降下して踏切における列車と人及び車馬との衝突の危険を未然に防止すべき業務上の注意義務がある」としてあるのに対して、原判決が、同被告人に対して「常に正確なダイヤの時刻を把握していて右列車接近灯が点灯したならばその接近列車が定時列車であるか、臨時列車であるかを確認し、もし臨時列車ならば廻送等の京浜鶴見駅通過列車であるかも知れないことを当然に予期し、予め早期に遮断機を降下すべきであり、また接近ブザーが鳴つた際、踏切内に車馬或は通行人のあるときは遮断機をできるだけ降下するとともに手笛を吹くとか、大声を発するとか、手で指示するとかして踏切内の車馬或いは通行人を速に踏切外に出すとともにこれらのものが新たに踏切内に立入らぬようにし、もつて踏切における列車と車馬及び通行人との衝突の危険を未然に防止すべき業務上の注意義務がある」と認定していることは、いずれも所論の指摘するとおりであるが、被告人矢崎に対する起訴状記載の訴因及び原判決の事実認定は、いずれも同被告人が、生麦駅から本件通過列車の電話連絡を受けながら、漫然京浜鶴見駅のホームの乗客に対する場内放送をしただけで、直ちに同駅に設置されていた通過列車制御装置の起動スイツチを入れることをせず、同駅の駅務係鈴木義夫が右の場合放送によつて本件通過列車が接近して来ていることを知つたが、右通過列車が一六〇号信号機の地点を踏んだことを示す同駅に設置されていた列車接近灯(原判決に通過列車制御装置と記載してあるのは誤記と認める)の第二灯が点灯しているのに右通過列車制御装置の起動スイツチが入れられていないことに気付いて急いで右起動スイツチを入れるまで、右起動スイツチの操作をしないで放置した事実を過失としているものであるから、原判決が被告人矢崎に対して認定した事実が同被告人に対する起訴状記載の訴因を逸脱しているとは認められず、又被告人安達に対する起訴状記載の訴因及び原判決の事実認定は、多少の表現の相違はあるけれども、いずれも同被告人に対して、常に正確なダイヤの時刻を把握しており、鶴見市場第四踏切番舎に設置されていた列車接近灯が点灯したならば、接近して来ている列車が京浜鶴見駅を無停車で通過する列車であるか否かを確認し、通過列車であるかも知れないと思えば、早期に同踏切に設置されていた踏切遮断機を降下すると共に、右番舎に設置されていた、列車の接近を知らせるブザーが鳴り出した際に、右踏切内に車馬或いは通行人が入つていたならば、できるだけ踏切遮断機を降下すると共に、手笛を吹くとか、大声を発するとか、或いは手で指示するとかして、できるだけ早く踏切内に入つている車馬又は通行人を踏切外に出すと共に、これらの者が新たに踏切内に入つて来ないようにし、もつて踏切における列車と車馬又は通行人との衝突事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるとしているのであるから、原判決が被告人安達に対して認定した業務上の注意義務が同被告人に対する起訴状記載の訴因を逸脱しているとは認められず、結局被告人矢崎及び同安達に対する原判決には、審判の請求を受けた事件について判決をしなかつたり或いは審判の請求を受けない事件について判決をした違法はないから、論旨はすべて理由がない。

弁護人飛鳥田喜一、同飛鳥田一雄、同池谷利雄及び同平井光一連名の論旨第一点について。

自動車運転者たる者は、踏切を通過するに当つては、たとえ踏切遮断機が設置されている場合でも、その故障又はこれを操作する踏切警手の過失等のため、踏切遮断機の解放中に列車、電車等が踏切を通過することが絶無とは云えないから、踏切遮断機のみを信頼することなく、必らず踏切の前で一時停車をした上、自ら踏切の左右を見透すとか列車又は電車等の進行音に注意し、なお場合によつては車掌を下車させて誘導させる等の方法によつて、踏切通過が絶対に安全であることを確認した上で踏切を通過すべき業務上の注意義務があることは当然であり、特に本件の事故現場のように左右の見透が極めて困難な踏切においては尚一層念を入れて踏切通過の安全を確認すべき義務があるものと解すべきであり本件踏切は車馬又は通行人の往来が頻繁であり踏切の前で一時停車をして前記のような安全確認の措置をとつていると一般の交通に支障を来たす虞があるとか、被告人成田が運転していた本件乗合自動車は旧式車で、エンヂンの騒音が普通の自動車より高く、列車の進行音その他の音声を聞きにくかつたというようなことがあつたとしても、これをもつて直ちに原判決が被告人成田に対して原判示のような過失があつたと認めたことが、同被告人に不可能を強いているものとすることは当らないと考えられるので、論旨はすべて理由がない。

同第二点並びに職権による調査について。

記録及び証拠物を精査し、且つ当審の事実取調の結果を斟酌し、これらに現われた被告人等の本件各犯行の罪質、態様、動機、被告人等の年令、性行、経歴、家庭の事情、犯罪後の情況、本件各犯行の社会的影響等量刑の資料となるべき諸般の情状を総合考察するに、本件は被害が極めて甚大であつて、その社会的影響は相当深刻であると認められるが、本件は不幸にも被告人等の過失がたまたま重り合つたため惹き起されたものであり、被告人等の個々の過失自体はいずれも比較的軽微であるばかりでなく、京浜急行電鉄株式会社でとつていた京浜鶴見駅を無停車で通過する上り列車の来進を同駅に予報する仕方及び同駅長戸田幸太郎の同駅員に対する同駅に設置されていた通過列車制御装置の取扱に関する指示に若干欠けるところがあり、且つ鶴見市場第四踏切の施設にも若干欠けるところがあつたと認められること及び被害者に対しては右会社及び横浜市交通局においてそれぞれ慰藉していることを考慮すれば、敢えて被告人等に対して実刑を科する必要はないものと思われるので、原判決はこの点において破棄を免れない。

よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八一条により、原判決を破棄した上、同法第四〇〇条但書の規定に従い、当裁判所は、更に、自ら、次のように判決をする。

原審が認定した事実に法律を適用すると、被告人等の原判示所為はいずれも刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第三条、第二条に各該当するところ、右はそれぞれ一個の所為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により、それぞれ犯情の最も重い斎藤美津子に対する各業務上過失致死罪の刑をもつて処断することとし、いずれも所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人等をそれぞれ禁錮六月に処し、なお情状により、同法第二五条第一項に従い、被告人等に対しては、いずれも本裁判確定の日からそれぞれ二年間右各刑の執行を猶予し、原審及び当審の訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い、主文第四項掲記のとおり被告人等に負担させることとして、主文のように判決をする。

(裁判長判事 加納駿平 判事 河本文夫 太田夏生)

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